StatsBeginner: 初学者の統計学習ノート

統計学およびR、Pythonでのプログラミングの勉強の過程をメモっていくノート。たまにMacの話題。

「かけ算の順序」にこだわる教え方を擁護できるかも知れない理屈を一応考えてみる

叩かれる先生たち

 数日前の茂木健一郎氏のブログ記事に限らず、かけ算の順序にこだわった教授法が不毛だとしてネット上で叩かれているのはよくみかける。Wikipediaにもページが設けられているし、この問題について考察した書籍も出ているようだ。


かけ算には順序があるのか (岩波科学ライブラリー)

かけ算には順序があるのか (岩波科学ライブラリー)

  • 作者:高橋 誠
  • 発売日: 2011/05/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


 要約すると、日本の小学校ではかけ算を「かけられる数×かける数」「1あたり量×いくつ分」という順序で考えるように教えることになっているらしく、「子どもが6人いて、1人に4個ずつみかんを配ります。みかんは何個必要でしょうか」みたいな問題を解く時に「4×6=24」と書けば正解だが、「6×4=24」だと不正解ということにされてしまい、そういうプリントを見つけた親が「こんなバカなことがあるか」と画像をTwitterでさらして教師を叩くというのが、この季節の風物詩になっているという問題である。季節性があるのは、小2の10月頃からかけ算を教え始めるからだろう。


togetter.com
togetter.com
d.hatena.ne.jp


 中には足し算でも同じ問題が生じているとの記事もある。

togetter.com


擁護できるかどうかを考えてみる

 ネット上では「順序こだわり教育」に反対の声が99%ぐらいを占めており、小学校の先生たちはもっぱら叩かれている。私は叩かれている人をみると擁護してみたくなるほうなので、擁護するロジックはないものかと少し考えてみた。
 すこし考えただけであって、大して調べ物もしていないのだが、とりあえず現時点では、

  • 式を書く順序にいったんこだわることに全く意味がないとも言えない。
  • しかし「6×4=24」という式にバツを付けるのはやっぱり行き過ぎだろう。
  • とは言え、目くじらを立てるほど有害なことなのかもハッキリせず、ネット上の批判は過剰反応な気もする。


 という感じの印象を持った。もっと調べたら印象が変わるかもしれないが、あまり調べる気はない。

欧米でも順序にこだわる人はいるらしい

 まず前提として、かけ算を書く順序にこだわるのは日本の学校だけではなく、欧米でもそういう事例はあるようだ。上で参照したようなかけ算の順序問題についての記事を読んでいくと、欧米では「かける数×かけられる数」の順で書くように指導されているという話がよく紹介されている(よく読んでないのでどの国でというのは知らん)。日本とは逆に教えているわけである。
 欧米人が逆の順序で教えていて大きな問題がないのであれば、日本で採用されている順序に絶対的な意味はないということになる(言語や文化によって、どっち順のほうが理解しやすいというのはあるかもしれないが)。
 と同時に、欧米でも一応順序を気にして教えているケースがあるのだとすると、べつに日本の先生だけが特別おかしいというわけでもないということになる。
 そもそも、PISAの国際学力比較で日本の子どもの数学的リテラシーはべつに低くはないので、全体として日本の算数教育だけがめちゃめちゃ大きく間違っているというわけではないのだと思う。もちろん、だからといって、順序こだわり教育という特定の教授法が効果的であることの証にはならないのだが。

擁護派の代表的な主張

 順序こだわり教育の擁護派の主張として最も代表的なものは、「文章題にでてくる数字を順番に並べて適当に式を書いている子どもがいるから」というもののようだ。(追記:最もなのか確かめてはないが。)
 たしかに、文章に出てくる数字をそのままに並べて適当に記号を書いて計算しても、当たってしまうことはけっこうありそうだから、子どもの理解を確かめるために、「かけられる数×かける数」という概念整理にいったんこだわり、その順で式が表現されていなければ理解の程度を疑ってみるというのは分からなくはない。


 生徒はひょっとしたら、現実の問題をかけ算として処理する概念操作を完全に理解した上で、自分の好みで先生とは逆順に式を書いているだけかもしれない。また、かけ算の概念を理解するための方法として、「かけられる数×かける数」という枠組みは、ある生徒には有益だが別の生徒には有害かもしれない。そもそも、「かけられる数」と「かける数」に区別して考える方法を採るとしても、どっちかを先に書かなければならないと決めつける本質的な理由はない(実際、欧米の学校では「かける数」を先に書くらしいし)。


 しかし先生たちの言い分を勝手に代弁すると、学習の初期に、しかも1人で何十人かの生徒を相手にするような場面では、ひとまずある特定の枠組みに沿って教えざるを得ないとは言えるだろう。また、少なくとも教えた通りに式を書いていないのであれば、ひとまず「コイツ理解してないのでは?」と疑ってみるのは正当なことであろう。
 順序こだわり教育を批判している大人たちは、子どもたちが「現実の問題をかけ算として処理する概念操作を完全に理解した上で、自分の好みで先生とは逆順に式を書いているだけ」だと暗に想定しているのだと思うが、その想定が外れているケースもけっこうありそうには思う。実際、低学年の子供に勉強を教えてみるとわかるのだが、大人からみると「なんで?」と不思議になるような手順でモノを考えていることはよくある。


 もちろん、本質的に重要なのは式を書く順序などではなく、概念の操作が上手くできているかの見極めだから、「6×4=24」と書いたからといって形式的にバツを付けるのは、杓子定規が行き過ぎているとは言えるのだが。

計算ではなく数式化の練習をしているのだと考えてみる

 「4かける6」みたいな単純な計算であれば、書く順番が逆だからといってバツを付けるのはやり過ぎであるように思えるし、そもそも「かける数×かけられる数」という表記が「逆」だというわけですらない。
 しかし大人でも、ある程度複雑なできごとを数式に置き直す際は、頭が混乱しないように数式を書く順番やまとめ方を工夫するはずだ。「数学的に演算内容が同じであればどう書いても問題がない」というわけではなく、「頭が混乱しにくいように書く」スキルというものが存在するわけである。


 小学校における算数の指導が、「頭が混乱しにくいように現実の問題を数式に置き換える練習」でもあるのだとすれば、順序にこだわった教授法にも意味があるのかもしれない。小学校の教材がが扱うのは大人から見れば単純な例だから、大人から見ると「そんなところで順序にこだわっても意味ないだろ」と思ってしまうのだが、複雑な計算において大人が行っていることを、子どものレベルで行っているだけだと考えれば、順序に意味を持たせるのもさほど変な教育というわけではないのではないだろうか。どの書き方が混乱しにくいのかは人によるから、正解不正解とは関係なく指導されるほうが望ましいとは思うが、少なくとも「混乱しにくい順序に整理するよう教育することに意味がない」とは言えない。
 まぁそれでも、繰り返しになるが、バツをつけて順番を守らせることが大事なのではなく、概念の操作がきちんとできているかを確認しないといけないと思うが。

コーディング規約のようなものだと思ってみる

 プログラミングを行う際に「コーディング規約」を定めたりするように、演算内容が同じであっても複数の人間が読みやすいようにロジックを表現するという努力には意味がある場合がある。
 かけ算を、「かけられる数×かける数」「1あたり量×いくつ分」の順で表現することを叩きこむ作業が、単なる計算の訓練ではなく「計算をめぐるコミュニケーション」の訓練も兼ねていると理解すれば、先生が言うとおりの順番で書かなければ不正解という指導にも意味はあるかもしれない。


 そもそも、「計算が合っていればどう書いても良い」という立場をとると、極端にいえば、「4×6=24」と書かずに「4,6,24」とか「24(6・4)」とか書いてあってもマルを付けなければならない。あるいは、子どもが「みかん1個は必ず10の房から成る」と思い込んでおり、まず房単位で数えたあとに9を引いてみかんの個数に直すという変わった考え方をしていて、「10×4×6=240、9×4×6=216、240−216=24」という謎の式を書いていても、結論は合っているからマルを付けなければならない。

 さすがに順序こだわり派じゃない先生もそこまで寛容ではないだろう。では、「6×4=24」にバツを付けるのは、これらのケースと本質的にどう違うのか?
 恐らく本質的にはあまり違わなくて、単に程度の問題ということだろう。理解可能な別の表現で書いているか、見たこともない謎の表現で書いているかの違いである。


 もちろん、「10×4×6=240、9×4×6=216、240−216=24」でも論理的に正解に辿り着いているのだから、余裕があれば「君は面白い考え方をするな」と褒めてやればいいと思う。しかし学校の先生にそこまで求めるのも酷だとは思うので、「私は理解してますよ」ということを先生にわかりやすく伝えるコミュニケーション作法を、生徒にある程度強要するのもやむを得ないというか、それも教育の一環であるとは言えるのではないだろうか。

過剰反応かも(その1)

 ところで、さきほど「ネット上の批判は過剰反応な気もする」と書いたのだが、それはかけ算順序問題について、ひょっとしたら誤解とか誇張もあるかもしれないとも思ったためである。
 私も詳しく調べてはいないので、現時点では「以下のような想像から、ネット上の批判は過剰反応かもしれないと思っているが、この想像は間違っているかもしれない」程度の話として書き留めておく。


 まず1つめ。ネット上で、「最近の子どもはかわいそうだ」「最近は教師が劣化している」みたいなコメントをみかけた気がするのだが、この順序論争は何十年も前からあるらしいので、「最近は〜」と怒っている人はたまたま自分が順序にこだわらない担任に当たったか、自分がどのような教え方をされたかを覚えていないだけだろう。
 実際私は、小2の授業でどんな教え方をされたかなんて、全く覚えてない。かけ算で覚えてるのは、九九のテープ(CDじゃなかった)を聴かされて歌で覚えたということぐらいだ。覚えてないということは、私も「4×6が正解で6×4は不正解」という指導をされていた可能性を否定できないし、「最近の教師は〜」と怒っている人達も、じつはそういう指導のもとでかけ算の文章題に取り組んでいた可能性はある。
 順序こだわり教育を受けても、順序こだわり教育を批判できる人間に育つのであれば、デメリットがあったとしても限られているんじゃないだろうか。また、順序こだわり教育のおかげでかけ算の概念操作に慣れることができ、慣れた結果として次第に自己流の式の書き方ができるようになっていって、慣れる前のことは忘れただけかもしれない。

過剰反応かも(その2)

 また、「6×4」にバツを付けるやり方が行われているのは小2のごく一時期に限られるかも知れない。
 「順序違いの式を不正解にするのは小2の秋〜冬だけであり、高学年になったらどう書いても正解にされている」のと、「高学年や中学生になっても、順序が違えば不正解にされる」のとでは、先生が叩かれるべきか否かの評価は異なるはずである。小2の秋〜冬のかけ算導入期にそういう教え方をしているだけであれば、算数や勉強に限らず何事も最初は先生の流儀を押し付けることによって学習が進む面があるのだから、「バツを付けるのはちょっと杓子定規が行き過ぎているなぁ」程度に思っておけばいいような気はする。
 しかしその辺が、ネット上の論争ではハッキリしていないのでは?
 ひょっとしたら、批判している人たちは、小2の一時期に限って起きている現象を過大に受け止めて怒っている可能性もあるのではないだろうか(高学年でもバツを付けるのが蔓延しているのかもしれないが、私はそれを判断できるほど調べてはない)。

過剰反応かも(その3)

 もう1つ誤解がありそうなのは、学習指導要領や参考書において「かけられる数×かける数」という思想が根強いのが事実であり、Twitterで逆順の式にバツを付けた例がたまに報告されるからと言って、実際にほとんどの先生がバツを付けているのかどうかはよく分からないということ。式にバツを付けて答えにはマルを付けている先生がいるという話もみかけたし、実際にはマルかバツを付けた上で個別に指導しているかもしれないし、順序を気にしない先生も多いかもしれない。
 バツを付けられた子どもの親がTwitterで騒ぎ、裏付けとして別の人が「かけられる数×かける数」の思想が表現された指導マニュアルを引用すると、あたかも「順序が違ったらバツ」という指導が日本中で蔓延しているかのように思えてくるのだが、本当にそうなのかはよく分からない。(調査データがあるのかもしれないが、調べてない。)

効果のある教授法なのか

 色々論争が行われているのだが、結局のところ重要なのは、「交換法則が成り立つので、数学的には順序はどうでもいい」とかいう話ではなく、小学校2年生におけるかけ算の導入初期に、順序にこだわった教授法を採ったほうが概念の理解が進むのか否かだ。順序にこだわったほうが理解が進むという効果が実際にあるのであれば、数学的にどうかとかは関係なく、こだわる意味はあると言える。
 これについては何か調査や実験のデータがありそうな気がするが、私は調べてない。Wikipediaの記事中で紹介されている研究だと、例えば式を逆に書いている生徒であっても絵はちゃんと描けているという報告があり、これは式を逆に書いていても理解に問題はないと取ることも可能だ(報告ではそういう解釈はされてないが)。


 なんかデータとかあったら誰か教えてください。

まとめ

 まとめるとですね、

  • 計算そのものだけではなく、現実の問題をかけ算の処理に置き換えるという概念操作を教えたい。
  • その教え方の枠組は色々あり得るが、とりあえず、文章題を「かけられる数×かける数」「1あたり量×いくつ分」の形に整理するという教授法を採用することとする。
  • その形に整理するように子どもたちに教えたところ、式を逆順で書いている生徒が何人かいた。
  • 逆順で書いている生徒が、かけ算の概念操作は完ペキに理解した上で好みで逆に書いているのか、教えたことを理解してないのかは、この時点ではハッキリ分からない。
  • かけ算に慣れてくれば自己流の計算方法を許してもいいと思うが、最初のうちは、教えたことが伝わってるかをきちんと確認したいから、教えた通りの考え方で式を書いてほしい。
  • だからとりあえず、逆順に書いた生徒の式にはバツをつけて、「1あたり量×いくつ分」の形で書いてね!と指導した。
  • なお、逆順にバツをつけるのはあくまで小2のかけ算導入初期のみであって、高学年になればみんなかけ算の概念操作を理解していると信じられるから、逆順に書いていてもそれは単なる好みだろうとみなしてバツはつけない。
  • 先生によっては、小2のかけ算導入期であっても、バツは付けず生徒に個別に問いかけて、理解の度合いを確かめている。


 というのが実情だった場合、バツをつけるのはやり過ぎ感もあるものの、順序に意味を持たせた教え方には一応理由があるし、「最初ぐらい俺の教えたとおりに書いてくれよ」と思う先生の気持ちも分かるし、実際うるさく言うのは最初だけであってべつに大きな弊害はないわけなので、声を大にして先生を叩くほどのことではないように思える。
 まぁ私がいいたいのは要するに、ネット上(とくにツイッター)では「自分の子供の先生」を叩く人がやけに多くて、先生が気の毒ってことなんですが。ただまぁやはり、理解してるのかも知れないから、バツ付けて放置はかわいそうだと思うが。

追記

出版社が出してる授業ガイドで6年生向けにも順序こだわり教育が推奨されているらしく、交換法則を教えた上でやっているのであれば一貫性がなく、やばみしかない。
http://b.hatena.ne.jp/entry/309247508/comment/uncorrelatedb.hatena.ne.jp
www.anlyznews.com