昔、掲示板サイトの2ちゃんねるがよく「便所の落書き」と批判されていて、いまのSNSも同じように言われることがありますが、最近の都会のトイレは総じて綺麗で、落書きというものを見ることがほぼなくなりました。なので、そもそも便所の落書きとはどんなものか、どういう気持ちで書くものなのかを若者に伝える義務があると感じています。
大学時代、私が主に授業を受けていた建物は1階にトイレがあって、男子トイレはたぶん個室が3つぐらい付いていたと思います。個室の内側の壁にはだいたい何かしら落書きがされているのですが、よく見かけるのは、「○○ちゃんかわいい!」と好きな女の子への愛を叫ぶものや、単なる下ネタや、嫌いな人の携帯番号を書いていたずら電話を誘うものなどでした。電話番号は、大学に限らずトイレの落書ではよく見かけるもので、本当かどうかは分からないけど、クスリの取引やゲイの出会いを匂わせるものもありましたね。
で、そのトイレの一番左端の個室は、洋式便器に腰を掛けると目の前に見えるあたりに、誰かが「一学2ちゃんねる」と書いた領域がありました。「一学(いちがく)」というのはその建物の名前です。
「一学2ちゃんねる」は、その個室で用を足す人たちが交換日記のように使っていて、鉛筆やボールペンで
今日もいいウンコが出た
おめでとう、俺もだ
次テストだけど勉強してないわ
がんばれ
というような他愛もない会話が書き込まれていました。自分が何を書いたかは思い出せませんが、だいたい似たようなレベルの、どうでもいいことしか書いていないと思います。
この「一学2ちゃんねる」には独特な楽しさがありました。読んでいるだけだとあまり何も思わないのですが、自分で書き込むようになると不思議な緊張感を覚えるもので、「次ウンコするときに返信が付いてたらいいな」と少しワクワクするような面もありました。
匿名のコミュニケーションは「無責任だ」と言われることが多く、それはまぁ確かにそうだと思いますが、お互いの素性が分からないからこそ得られる妙な連帯感というものもあります。少なくとも「一学2ちゃんねる」は、他の個室の壁に比べれば和気あいあいとしていて、荒れることもありませんでした。
会話の相手が先輩なのか後輩なのかも分からないが、とにかく俺たちはこの同じ便器に座って用を足し、同じ壁を見つめている。そこに「強い絆」というほどのものはないにしても、赤の他人というわけではないし、何より俺たちは互いに話したがっている……。素性を隠しながら同じ目的のために協力する、秘密結社のような感じにも近いかも知れません。
コミュニケーションのチャネルは、太ければ太いほど良いというものでもないのだと思います。家族や同級生のように、頻繁に顔を合わせることで育まれる絆はもちろん大事なのですが、逆に「この人とは、今ここでしか話せないかもしれない」という儚さが、「今ここ」の会話に良い意味での緊張を与える場合もあるんですよね。壁に隔てられて、相手を深く知ることができないからこそ、「話したい」という気持ちが強くなるとも言えます。
スマホを初めて買った頃、「Qボトル」というアプリを使ったことがあります。ビンに手紙を入れて海に投げると、そのうちどこかの海岸に流れ着いて誰かに読まれるみたいな話がありますが、そのイメージで、誰に届くか分からないメッセージを適当に送信するアプリです。ただしビン投げとは違い、受け取った人がその送り主に返信をすることもできて、少しだけ1対1の会話が成り立つようになっていました。最近は、ランダムに電話をかけて知らない人と話せるアプリなんかもあるようですね。
そういうものへの需要が「大きい」とは、私は思いません。2ちゃんねる的なものも、たまに使う分にはちょっとワクワクして楽しいというぐらいの話で、毎日入り浸っていたら不愉快な経験のほうが目立つようになってきます。そういう空間に閉じこもってしまうのは、トイレから出られなくなるようなもので、本当に孤立している不幸な人だけでしょう。
しかし、海に投げた手紙が誰かに届くというエピソードと同じで、「便所の落書き」にも独特なロマンがあるのだということは認めるべきで、それはアカウントによる統合が進んだ今のSNSにはない面白さだったのです。私にとっては、インターネットの「2ちゃんねる」より、本当に便所の壁に書いていた「一学2ちゃんねる」のほうがよりロマンがありましたが、本質は似ていると思います。
私は高校2年ぐらいのときに「あめぞう掲示板」を使いはじめて、その後、違いがよくわからないまま気づいたら「2ちゃんねる」に移動していました。当時のインターネットには、なんというか、少年の「冒険心」をくすぐるところがありました。知らない人と顔も名前も年齢も分からないまま話し合うっていうのが、ちょっと怪しい、ちょっと危うい、ちょっと悪いことをしているような感覚で、刺激的だったんです。たぶん、その前の時代の「パソコン通信」や、アマチュア無線でたまたまつながった人と雑談をするのも似た感じだったんじゃないでしょうか。
これはたぶん、インターネットが流行り出した頃、周りよりも早めに使いはじめた人にしか分からない感覚だと思います。使う人が多くなるとトラブルも増えるしコミュニケーションの質も下がってしまって、ドキドキ・ワクワクという感じではなくなったし、そもそもインターネットがあるのが当たり前になると、冒険的ではなくなりますからね。
私も人に自慢できるほど早かったわけではないし、そもそも「アーリーアダプター」であることが格好いいとも思わなくてむしろ古風な生活スタイルを守っている人に憧れますが、たとえば大学に入った時点で下宿先に常時接続の回線があったのは私ぐらいで、インターネットといえば大学のメディアセンターで使っている人がほとんどだったので(携帯でも接続はできましたが当時は見れるサイトが限られてました)、比較的早いほうだったとは思います。
で、わずか数年差ぐらいの話ではあるのですが、アーリーアダプター層だけが集まっていた頃の掲示板やチャットルームは、「匿名で怪しいけどなんか凄そうな奴」がいっぱいいて面白かったんです。たとえば、吉野家コピペの元ネタを作ったのは新爆さんという人ですが、吉野家コピペが有名になるよりも前(だったはず)に、お笑い好きが集まる個人サイトの掲示板で新爆さんの書き込みを見て、腹がちぎれるほど笑ったのを覚えています。ちなみに、吉野家コピペが出回るようになってからも15年ぐらいの間、私は元ネタの作者が新爆さんだとは知らなくて、あのコピペとは無関係に新爆さんというキャラクターを記憶してました。
SNSが登場して以降のインターネットは、「(凄くて)怪しくない人」と「(怪しくて)凄くない人」ばかりになって、私自身はもちろん後者ですが、とにかく当時のような不思議な味わいが得られる機会は減りました。それは残念な面もあるのですが、避けられない道であったとも思うし、それこそ数年限りの「儚い」体験だったからこそいい思い出になっているのかも知れません。
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