高速道路か何かで149km/h出して免停になった山本太郎さんを擁護しようとして、れいわ新選組の支持者が
子供の頃に、信号無視をしたり、駄菓子を万引きしたり、自転車を盗んだりするくらいは、みんな普通にしてたよね。今回はその延長でしか無い。
と発言したのがツイッターで炎上していました。「いや、普通はしないから」というもっともなツッコミが殺到したわけです。
そう、確かに大半の人はそんなことしないんですが、恥ずかしながら私は万引きも自転車泥棒もしたことがあり、高速道路で149km/hぐらいなら出したこともあるので、耳が痛い話です。自転車泥棒についてはツイッターに少し書きました(参考リンク)。運転は最近は穏やかなのですが、だいぶ昔に一発免停になったこともあります。私の場合は60km/h制限の新御堂筋で99km/h、つまり下道での39km/hオーバーで、1ヵ月の免停でした。前科にはなりませんが、簡易裁判所で判決をもらい、免許センターで6時間の講習を受けた記憶があります。
万引きといえば、思い出すのは、元東大教授で評論家の西部邁先生の話です。学生時代にいろいろ教わる機会があったのですが、西部先生は中学生だった頃に万引きを繰り返していた時期があって、クズ人間で終わるのが怖くなって1年ぐらいでやめたという話をよくしていました。
その後は、60年安保の学生運動で逮捕されて有罪になったりはしたものの、万引きのようなチンケな悪事は働かなかったらしいのですが、東大の助教授だった33歳のときに、貧乏な大学院生が腹をすかして弱音を吐いているのをみて、「男たるもの、是が非でも必要なものは法を犯してでも獲るべし」と乾物屋で食べ物を盗んで見せたという話が、『寓喩としての人生』という自伝にも書かれています。
面白いので引用しておきましょう。
……ほとんど生物的といいたくなるような、行動力というよりも衝動力のようなものに促されて、私は万引少年になり果てた。
自分の名誉のためにいっておきたいのだが、悪い仲間に誘われて万引をやったわけではないし、集団万引に加わったこともない。私は独りで万引をやりはじめたのだ。札幌の都心に富貴堂という本屋があった。その片隅には、スポーツ用品コーナーまであったのだから、当時としては、洒落た店だったのであろう。そこを中心に、中学二年の冬から三年の冬までの一年間ばかり、盗みをはたらいていた。その頻度は、おそらく、週に三回といったあたりではなかったろうか。少しずつ大物に手が伸びて、最後には、自分でやったことのないテニスのラケットまで頂戴するということになっていった。
(中略)
しかし万引の一瞬の緊張とは、その寸前の恐怖とその寸後の快楽とのないまぜのことである。恐怖の体験も積み重なれば憂鬱の因となる。中学三年生のときのある冬の暮れ、凍てつく市電の戸外乗場に立ち竦みながら、私は「このままいくと自分は人間の屑になるのではないか」という思いにとらわれ、その精神的な寒さのために体をがたがた震わせていた。
それ以後、私は万引をやったことがない。二十歳代の前半、食うに食えない生活をやっていたときも盗みははたらかなかった。自分に息子ができ、彼が私の場合よりもずっと幼くして、帰国児童としてのストレスのなかで本の万引に走ったときも、彼の首根っ子を摑まえてその本屋に突き出してやりもした。この世の現実が「統治」であることを、あるべきだということを、我が子に教えてやりたかったからである。
いや、思い出した、三十三歳にもなってから、自分が一度だけ万引をやったことを。そのころ、東京大学助教授であった私は、娘と息子が立て続いて生まれ、貧乏といってよいような生活をしていた。しかし私のところにきていた四、五人の大学院生はもっと貧乏で、そばで聞いていると、食べ物についての心配話が多い。で、御茶の水の飲み屋に向かう途中、乾物屋の店先で何点かの食料を万引してみせ、「男たるもの、是が非でも必要なものについては、心配する前に、法を犯してでも獲るべし」と宣うたわけだ。彼らは、今、あちこちで押しも押されぬ大学教授をやっている。私のなした大学院教育のなかで彼らの記憶しているのはこの件くらいであるらしい。
(西部邁『寓喩としての人生』)
息子さんの万引については、次の箇所に書かれています。
そんな気分でいたある日、電話が鳴って、「こちらはスーパーダイエーの警備係ですが」と相手はいった。間髪を入れずに私は「息子が万引をやらかしましたか」と応じた。元万引少年たる私にはそれくらいの勘はすぐはたらくのである。警備室にいくと、おそらく警察官上がりの目付きの鋭い係員が「普通なら小学校の五年生だから、初犯のものは謝れば説諭してすぐ解放するが、お宅の子は絶対に謝らない。この子の先行きが心配なので親御さんを呼んだ。この子は品物が勝手に自分のポケットに飛び込んできたと言い張る。こんな子をみるのは初めてだ」という。私は、まず、野球帽をあみだに被っている息子の頬を張り、「やったんだろう、お前は、おじさんに謝れ」と怒鳴ってみせた。息子は意外と素直に、御免なさい、といった。そして脱兎のようにその場から姿を消した。
それから数日後、深夜に妻が私を起こして、「息子の部屋に短冊のついたままの万引本がたくさんある」という。息子を叩き起こして問い質すと、彼が寝呆け眼でいうには「あのときはそばに友達が何人かいて、恥をかいた。それで、皆を集めて、もう一度やってみせるからみていろ、といったんだ。そうするしかなかったんだ」という。それを聞いて私は、内心では、なかなか見所のある息子ではないか、と感心したのだが、親たるものはそんなことは口に出せない。
翌日、しょぼ降る雨の中を息子と二人で歩いて件の本屋に万引本を返しにいった。その雇われ店主は「この仕事を長くやっているが、みつかってもいないのに謝りにきた親子は初めてです」という。そこまではよかったのだが、続けて「坊や、いいのよ、これくらいのことは。うちの子だってあちこちで万引しているんだから」といって、私の教育的配慮を台無しにした。
(西部邁『寓喩としての人生』)
私はこの息子さんに似ていて、小学4年生の頃に、1ヵ月間ぐらいだったと思いますが、近所の商店街にある駄菓子屋で万引きをしていました。Jという同級生がビックリマンシールを大量に揃えているのを知り、どうしたんだと聞くと万引きで手に入れたと言うので、「それはいいな」と仲間になったことがきっかけです。私ともう1人、Yという友人が加わって、3人で色々なものを盗みました。お菓子とか、アイスとか、近くの書店のマンガとか。
きっかけこそビックリマンシールでしたが、万引きのモチベーションそのものは、スリルが9割、物欲が1割ぐらいの比率だったと思います。「ピンポンダッシュ」と同じような、ゲーム感覚のいたずらに近いですね。私の場合は西部先生と違って集団万引ですから、仲間うちでの「俺のほうがたくさん取ってきた」「俺のほうが難しいものを取ってきた」というような張り合いもありました。アイスを何本も万引きしても食べ切れないので、他の誰かにあげたり、わざわざ返しに行ったこともあった気がします。返すのは返すのでスリルがあります。
で、その話は少しずつ、学校の友人たちに伝わっていきました。黙っておけばいいものを、どうしても「武勇伝」みたいに自分から喋ってしまうからです。あるとき、Mという友人が、「そのシールを俺にくれ。くれないと先生にチクるぞ」と脅してきたことがあって、「お前なんかにやるかボケ」と突っぱねたら、翌日さっそく担任に告げ口されて3人が呼び出されました。
どういう行き違いがあったのか忘れましたが、その時点で担任の先生は「本屋でマンガを万引きした」という話だけを認識してしていて、すぐにその本屋へ謝りに行かされました。ちなみに、その本屋の息子は私の同級生です。店番をしていたお母さんからひとしきり説教を受けたのですが、その間、店の奥から息子が顔を出して、心配そうにこちらを覗いていたのを覚えています。で、そのお母さんから「他にはやってないのか」と問い詰められて駄菓子屋の件も白状し、お母さんが私たち3人を連れて、駄菓子屋に謝りに行ってくれました(店に払うべき代金も肩代わりしてくれた)。その後、私の親にも連絡が入り、たしか夜の8時から10時ぐらいまで長々と説教されました。
自分で情けないと思うのは、この日の夜、親に説教されている最中に泣いてしまったことです。親に叱られたぐらいで泣くような半端なガキが、大それたことをしてはいけませんね。泣くというのは、親に怒鳴られるのが怖くて泣いているのではなく、自分のやったことを後悔して、道を踏み外したことの恐怖から泣いているんです。担任に説教を受けているときや、本屋に謝りに行ったときは、仲間と一緒だったこともありたぶん私は泣かなかったと思いますが、Yはわんわん泣いていました(Jがどうだったかは忘れた)。
根っからの悪ガキには反省も後悔もなく、そういう奴はあまり泣きません。彼らは、道を外れることへの恐れを持っていないからです。もちろんそんな悪ガキを褒めるつもりはないのですが、犯罪をやる資格が本当にあるとしたら、そういう奴らなのだと思います。叱られて泣き出してしまうような万引き少年は、所詮、不良に憧れた善人が粋がって調子に乗っているだけです。善人というと品行方正な大多数の方からお叱りを受けそうですが、とにかく、少し誇張になりますが、持てるものを放り出して悪の道を歩もうというほどの度胸や、本当の愚かさはなく、「真人間としての日常」と「悪事のスリル」をいいとこ取りしようとしている。そういうセコいところが情けないと思うわけです。
罪を犯したことそれ自体も反省すべきですが、それよりも、粋がって柄にもないことをしてしまったのが今でも恥ずかしくて、思い出すたびに自分が「小物」であることを実感させられます。自分は所詮、腹のすわった本物の泥棒にはなれない。そういう分際をわきまえて生きるべきだということを、万引き体験から学びました。
自分も大学の教員をやっていて、たまにそういう昔話を学生にすることがあるのですが、もしかするとカッコ悪い意味での「武勇伝」と捉えられているかもしれないですね。そういうつもりはないのですが、面白く伝えようとするとどうしても粋がってる感じにはなるので、気をつけようと思います😓
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