先日、社会人学生として4年間在籍した大学から博士(工学)の学位を授与されました。
ひょっとしたら社会人として大学院進学を目指す人の参考になるかもしれないので、資料としてこれまでの過程や気づいたことをメモしておこうと思います。私も以前、社会人博士の方のブログをみて参考にしましたので。
長いので、見出しをみて不要なところは適当に読み飛ばしてください。
社会人ドクターって?
博士課程(博士後期課程)に社会人を受け入れている大学はけっこうたくさんあります(参考リンク)。分野は様々ですが、話で聞くのは工学系・情報系・経営学系が多いような気がします。
学部→修士課程→博士課程→研究者
みたいな人材だけでなく、
学部→修士課程→企業・官庁での実務経験→博士課程→また実務
というような道をたどる人材を育成するため、社会人に博士号を取らせるということが分野によっては奨励されているわけです。「社会人ドクター」とか「社会人博士」とか通称されますが、そういう学位があるわけではなく、博士課程に社会人が在籍することを支援する制度とか、在籍している状態を「社会人ドクター」と呼ぶんでしょう。
また、「社会人博士課程」という課程があるわけでもないです。私が在籍した専攻の場合は、入試が「一般学力選考」「社会人特別選考」「論文草稿選考」に分かれていて、この「社会人特別選考」の枠の試験を受けて博士後期課程に入るのが社会人ドクターです。課程自体が別にあるのではなく、社会人の入学や在籍を可能にするルールがいくつか用意されているもので、後述するように入った後は一般の人たちとの区別はなかったです。大学によっては少し異なる(社会人向けに夜間の授業があるとか)みたいですが、その場合でも「別の課程」が用意されているという位置づけではないです。
入学のきっかけ
私はもともと、自分から能動的に「博士号を取ろう」と思い立ったわけではありませんでした。というか、社会人でありながら博士課程に在籍することができるという制度自体を知りませんでした(笑)
たしか2010年に教授から「社会人でも博士課程に入れるから、受けてみてはどうか」と誘われて初めてそういうシステムがあることを知りました。が、仕事が忙しい時期が続いていて、その年は準備が間に合わず、翌年の2011年も同様でした。つまり入学を2年連続で断念したんですが、この2年間のことはけっこう後悔していて、無理してでも早く入学しておけばよかったなと今では思っています。それで2012年に「これ以上先送りしたくない」と入学を決意し、10月入学の試験を受けることにしました。
なお、なんで進学を勧められることになったかというと、教授とはもともと勉強会などで面識があり、私も(学術誌ではないですが)雑誌に少し文章を掲載して頂いたことがあったりして、教授と似たような関心・問題意識を持っていることが明確だったからだと思います。
研究室都市工学みたいな分野で、インフラ整備計画、防災、交通需要の分析などを扱っています。私はもともと文系の人間で(遡れば高校は理系のクラスではありましたが)、学部時代は行政学を専攻しておりました。都市工学は、工学研究科とはいっても、社会科学の領域をけっこう含んでおり、政治学・経済学・経営学・心理学などと重なる研究は多いです*1。
入試までにやること
社会人ドクター進学を目指すにあたってやるべきことは、
① 大学・研究室を選ぶ
② 研究テーマを決める
③ 入試の手続きを調べる
④ 職場から許可をもらう
といったことだと思います。私の場合は教授のほうから声がかかったので、大学や研究室は最初から決まっていましたが、他にも修士で在籍していた研究室にするパターンなどは多いと思います。面識のない先生の研究室に行くパターンについては、私はよく知りません。
研究テーマについては、漠然と「博士号を取りたい」みたいな感じだとなかなか決まらないかも知れませんが、私の場合「都市工学」の中で許される範囲でもいろいろと関心事があったので、
- どれぐらい本気で興味があるか
- 先行研究で明らかにされていることの範囲がだいたい分かるか
- 論証・実証の手順がイメージできるか
- 博士課程在学期間内にまとまった成果がだせそうか
などを考慮して絞り込んでいき、最終的には教授と相談して決めました。具体的には、「研究計画」の骨子(解決したい問題、先行研究、仮説、仮説の立証方法の概要を書ける範囲で書いたもの)を何案か作って比較する感じです。
結果的には、入学して3ヵ月後ぐらいに、この時決めたテーマから派生したテーマでもっと良いものを見つけたので、大幅に方向転換しましたが。
入試の手続きについては、とにかくまず募集要項は何度も熟読することが必要です。加えて、実際に自分が受ける研究科に社会人として入学した先輩から話をきければ、なお良いですね。募集要項はけっこう分かりづらいものだし、そもそもそれを読むだけでは入試の内容とかよく分かりませんので。先輩から話をきけば、募集要項には表れない入学後の活動についてもイメージがつかめます。
職場からの許可については特段不要という人もいるかもしれませんが、私が受けた研究科では所属長からの「推薦書」が必要でした。推薦されていることより、会社が許可していることが証明されることが重要なようです。私は部長の名前で「次の者が、貴学大学院工学研究科博士後期課程の社会人特別選抜による入学試験を受験することを承諾し、推薦致します。 なお、入学決定の際、在職のまま通学することを承諾致します。 (以下私の経歴を一覧で記載)」という内容の推薦書を書いてもらいました。
入試
入試は、私の専攻の場合は研究計画に関するプレゼン・口頭試問と、論述試験でした。他の大学や専攻では、研究計画のプレゼンと英語の試験というパターンが多いらしいのですが、私の専攻だと一般入試でも英語の試験自体はなくてTOEICやTOEFLの成績証明書を提出する形で、社会人だとそれすらありません。ただし入学してすぐ、英語でプレゼンして質疑応答する授業があるので、英語が全く分からないときついと思いますが。ちなみに入試当時の私の英語力はTOEIC920点ぐらいで、仕事で海外出張には8回ぐらい行きましたが、長期滞在経験がないためまともにしゃべれないレベルです。論文読むとかはまぁ、疲れますけど何とか・・・という感じ。
なお、他の大学でもそうですが、修士課程(博士前期課程)を修了していない人でも博士後期課程に入ることができます。私もそのパターンで、入試の前にまず修士課程修了に相当する学力・研究能力があるかどうかの審査を受けることになります。研究実績の一覧と研究計画を提出して、それらに関する口頭試問を受けました。私の場合、学術誌への投稿実績はなかったのですが、一般の雑誌に文章を掲載していただいたことが何度かあったのと、全然違う分野ですが知人の手伝いで学会発表を行ったことがあったので、「よく分からんけど何かやってるっぽい」感じの業績一覧を作成して提出しました。
他大・他選考の場合は、これらの他になにか課題があるのかもしれません。
まぁ博士課程は結局、「良い研究ができるかどうか」が全てであって、入学できただけでは何の足しにもならないので、入試は厳しかろうが緩かろうが関係ない気がしますね。
ちなみに「論文草稿選考」というのは、昔でいう「論文博士」に相当するもので*2、学位論文のベースが既にだいたい仕上がっていて査読論文も通っている実績がある前提で、1年間で最低限の研究指導を受けた後に博論審査を受けるというものです。
入学後にやること
入学後は、一般の学生とやることが変わりませんでした。基本的には、研究テーマや研究方法を具体性のある計画に落とし込み、関連分野の論文をたくさん収集して読んで理解し、調査や実験を行って結果を分析し、学会発表を行ったり論文を取りまとめて学術誌に投稿したりする……という当たり前のことをやります。
この過程では常に、指導教官(私の場合は、教授と助教の先生)に相談しながら進めていきます。実験や調査は研究室の予算の範囲内でやることになるし、同じ研究を修士や学部の学生の力も借りて共同で進める(博士課程の学生の研究の場合は、当然博士課程の人が主導する)ので、自分単独で何でも進められるわけではありません。
このサイクルを何回か繰り返すうちに博士課程の単位が取れていきます。私のいた専攻の場合は、学会発表や査読論文の掲載はその重要度に応じたポイントが与えられ、それを貯めていくと単位がもらえました。必要な単位を確保し、ある程度研究の成果がたまったら、教授からGo!の指示が出て「博士論文」としてとりまとめ、大学に提出して審査を受け、合格すると学位授与です。
研究は内容自体をいいものにするよう努力するのはもちろんですが、学会発表とか学術誌への投稿のスケジュールを意識しておくのが重要ですね。ちなみに私は全然間に合ってないです。たとえば査読論文の掲載が上述のとおり単位取得のためのポイントとなるのですが、査読自体が終わるまでに半年以上とかかかるわけなので、逆算すると割と早い時期に投稿論文が仕上がっている必要があったりします。また、雑誌によっては、投稿前に学会発表しておく必要がある場合もあります。私はそういう、学会発表や雑誌投稿の手続きやリードタイムについて、入学前には全然知らなくて、入学後に「うわー、おもったより1本1本が長期戦になるから、早めに動かないとなー」と認識しました。
授業と通学
「授業は?」ってよく聞かれるのですが、一応あります。他の大学だと、社会人向けに夜間の授業が開講されていたりもするようですね。私が在籍した専攻の場合、教室に出席しなければならない形式の授業は週1コマのものが2期(前期・後期)分あるだけでした。要は4-9月分と10-3月分に分かれていて、たとえば1年目の10-3月と3年目の4-9月に受講してもいいわけです。授業っていうか、2つの専攻が合同で、博士課程の学生が集って自分の研究について英語でプレゼンを行い、質疑応答するというものなんですが。留学生もたくさんいますが英語圏とは限らないので、みんなわりと独自色の強い英語をしゃべっていた気がします。
この授業は、ほとんど出席できない社会人学生向けに、各回の資料をWebサイトからダウンロードして後日レポートを提出することによって出席の代替にできる制度になっておりました。ただし自分が発表する回(各期1回)は当然行く必要があります。なので最低でも通算で2回は出席することになります。
レポートによる救済措置*3は、もともとは社会人向けに作られたものであるものの、社会人じゃない学生も使うことができたので、文字通り「入った後は一般も社会人も同じ扱い」です。*4
まぁ基本的に、博士後期課程は「勉強」をするのではなく「研究」をするところなので、授業というものは重視されてはない感じですね。*5
また、私の場合職場が東京、大学が関西なので、大学にどれぐらい行く必要があるかというのも重要な点です。実家が大阪にあることもあり関西にはよく帰っているので、泊まるところもあるし関西へ行くのはさほど大変ではありませんが、それでもそう頻繁に通うことはできません。ただ、うちの教授はしょっちゅう東京に来ているので、研究の相談・打ち合わせはほとんど東京で行いました。
最小限でいうと、入試と入学の手続きやオリエンで計4回ぐらい、上述の授業で最低2回、博論を提出する際は予備審査をしてくださる先生に口頭説明をするので2回ぐらい、博論提出の手続きで1回、博論の公聴会で1回の計10回ぐらい大学に行けば済むんじゃないでしょうか。私の場合、そもそも関西に行くことが多いのでその時に学部・修士の学生と共同研究の打ち合わせをしたりもしましたが、社会人ドクターの先輩で職場が北海道の人がいて、この方は上述の授業2回と手続き以外では大学に行かなかったようです。うちの場合、大学事務への書類の提出とかを教授の秘書の方が代行してくださるので、かなり助けられました。
研究内容
私の研究テーマは、大雑把に言えば「人間の心が生み出したり感じたりする、物事の『ストーリー性』を、工学的に操作するにはどうしたらいいか」みたいな話です。といってもあまり研究されてなくて成熟してない分野なので、私がやったことはかなり基礎的というか初歩的な分析にとどまります。
人間の心的能力において「ストーリー性」「物語性」というものがどのような役割を果たしているかという研究は、1970年代以降にある程度行われているのですが、心理学、脳科学、哲学、言語学、社会学、医療、情報工学、人類学、経営学など様々な分野にまたがっていて、あまり系統立った整理がされておりません。そもそも「ストーリー性」の定義からして研究者によってまちまちで、定義が定まらないことには系統立った理論も実証もできないわけなので、まず先行研究を網羅的に調査して理論的な整理をレビュー論文の形でまとめました。その後実験を3回行ってそれぞれ論文にまとめています。(作業進捗が遅く、投稿済みなのは今のところレビュー論文と実験論文1本の計2本で、査読は両方とも通りましたが、残り2本はまだ投稿準備中です。)
このブログのテーマとも関係する紹介の仕方をすると*6、たとえば2011年に亡くなった計算機科学者でDavid E. Rumelhartという人がおりました。この人は、80年代にコンピュータの並列分散処理のアーキテクチャを考えたり、ニューラルネットワークの学習に使われるバックプロパゲーションのアルゴリズムを考案したりした学者として知られてるんですが、それらと並行して「物語の共通構造」についての論文を一時期書いていました。彼は、我々が「物語」と呼んでいるものは、人間の心的機構に由来する普遍的な規則に従った意味のシーケンスなのだと主張し、その規則についてのモデルを考案したりしておりました。似たような研究が70年代から80年代にかけて数名の研究者によって行われたものの、結果的にあまり深く追究されずに終わったのですが*7、問題意識そのものは、従来から心理学・哲学・文学等の領域で行われていた研究と合流しつつ、心理学の実証研究とか医療行為の実践の場に引き継がれて、「ストーリー性」がもたらす心理的インパクトについての知見が少しずつ蓄積されていきました。しかし理論的にも整理不足だし、実証研究もまだまだ少ない、マニアックな研究領域です。それこそ今後は、大量のテキストを並列分散処理も駆使したディープラーニングで解析するとかしれやれば、Rumelhartも浮かばれるのではと思っています(笑)
なお、よく誤解されますが小説みたいな形の「物語作品」が研究対象なのではなく、もっと一般的な意味での、心や言語の活動形式としての「ストーリー性」を扱っている感じです。
それって工学研究科でやるテーマなのか?と言われると、確かに心理学とか言語学の研究科の方が合っている気がしないでもないですが(もちろん論文上は「都市工学」上の意義を論じてありますが)、まぁそこは大学がけっこう自由な風土のせいか、さほどアウェー感を覚えることもなく学位取得まで行ってしまいました。また、学会で発表してると関心を持ってくれる人が結構いて、色んな分野の研究者と知り合えたのはもちろん、大手電機メーカーの研究所で勉強会を開催してもらったり、各地で街づくりプロジェクトをやっている人と知りあったりもして、面白かったです。
なお博士論文は公開の義務があって大学の機関リポジトリに載りますが、私の場合未投稿ネタが残っているので、公開は来年からとなっています。
学位審査
博士論文は投稿済み又は投稿予定の論文を合体させたようなものとして構成されることが多いので、在学中または入学前に投稿済みの論文が何本かあって趣旨に連続性があれば、博論の大部分はコピペになります。何とか細胞で問題になった博論のコピペとはもちろん話が別で、公式に認められたコピペであり、「第○章は、○年○月に"○○○○"という雑誌に掲載されたものです」みたいなことを説明する書類も学位審査時に提出します。
当然ですが、コピー元の論文は自分が第一著者として書いたものであり、博士論文に組み入れることについて共著者の同意が必要です。また、コピー元論文が掲載された雑誌に対しても、博士論文に組み入れて著作権上問題がないということ確認し、大学に報告する義務があります。
学位審査は、まず草稿段階の論文とともに「予備検討願」というのを大学に提出すると、「予備検討委員」が組織されて審査が開始され、何人かの先生が「この研究は学位審査を申請するのに相応しい段階にあるか」をチェックして報告書をまとめます。予備検討委員の先生には、直接伺って、内容を説明しました。
予備検討をパスすると次は本申請で、この段階で論文はいったん製本して提出し、審査委員の先生方に読んでもらいます。そして公聴会が開かれて、1時間ぐらいプレゼンして30分ぐらいの質疑応答を行い、その後審査結果の報告書が大学に(権限としては研究科長宛てかな)提出され、合否が判定されます。
私の場合、在学中の4年間で査読付きの雑誌に通った論文は2本で、もう2本の投稿を現在準備中です。これは当初の予定からすればかなり遅くなっております。そもそも投稿できたのが2本しかなく、両方通ったからまだよかったのですが、もっと上手く時間を捻出して4本投稿することは可能だったはず……という後悔があります。
なお、査読論文2本程度の実績で博士の学位をもらえるのは比較的甘いほうだと思うのですが、うちの研究科は論文博士の場合や、課程博士でも在籍期間短縮(2年で修了)を申請する場合だけ3本が必須になるとのことでした。つまり極端な話、課程博士で在学期間を短縮しないのであれば査読論文ゼロでも制度上は学位審査を受けることが妨げられないとのことです。掲載実績も審査上の評価に影響はするのだと思いますが。この辺は、博士号取得に関して書かれているブログ記事とかを読んでみると、分野や大学によってマチマチであることが分かります*8。厳しいところでは英文で3本必要といったところもあるようですが、1本のところもあったり、査読論文の本数と学会発表の回数が条件になっていたりとか。論文博士の場合は一般的に要件が厳しくなるみたいですが、これは教授が研究指導をほとんどしないことになるので、研究能力の裏付けとして外部での実績がより求められるということなんでしょう。
私自身、投稿できるものはし切ってから学位審査を受けるほうが自分でも納得感があるので、もう少し学生の身分で作業を続けるつもりでいたのですが、教授からは「そろそろ、今あるデータで博論まとめて、未投稿分は後でもいいと思う」と言われたので、学位審査を受けることにしました。まぁさらに1年伸ばすと学費が50万円以上かかりますしね……。
なお学位審査は、手続きを理解するのにけっこう骨が折れました。大学の事務の資料だけではよく分からないことがけっこうあって、経験者に色々聞いたり、事務の人に直接質問したりする必要がありました。私はルーズな人間なのでいつも手続き系がギリギリになるのですが、たとえば履歴書に高校や学部の卒業の「日付」まで書かないといけないというのを直前で知ってやばかったです。分からなかったので高校の事務に電話したりしました。単純に「3月31日」卒業とかじゃなくて14日とか中途半端な日付なんですよねー。ふつうは「◯年◯月卒業」としか書かないわけで、なんで日まで必要なのかは分かりません。
学位を取得して思ったこと
学位授与の連絡を受けての感想としては、多くの人から指導を受け、作業を手伝ってもらい、また迷惑をかけたりもしたので、とりあえず合格してホッとしたというところです。
しかし自分の研究には不足している部分がかなりあると思っています。博論の研究対象にしたテーマに限っても、現時点で重要だと考えているいくつもの論点のうち、実験や考察の対象にできたのが2〜3割ぐらいという感じで、さらにその考察も本来目指すべきレベルからすれば2〜3割ぐらいまでしか追究できていないという認識です。それは、能力的にできることが限られていたという面もあるし、もっと時間を有効活用して質・量ともにより良い研究にできたはずだという後悔もあります。
まぁ学位取得は通過点というか何かの入り口みたいなものであって、その後も課題を抱え続けるのは当たり前のことであるし、また自分がどうしても解きたいと思える問題がたくさんあるのは幸せなことでもあると思うことにします(笑)。学位を取ったからといって自分が偉くなったという感じは全くなく、「センター試験で足切りはされなかった」というような感覚ですね。
あと、博論の対象にできなかった論点の中にめちゃめちゃ重要なものがあります。優先度が低いから外したのではなく、手に負えなそうだから外したという感じのやつです。自分なりに仮説を考えてはいるのですが、自分の力で論証・実証できるという確たる自信があるわけでもないし、やるとしても10年とか20年とか時間がほしいところ。そういう課題が念頭にある状態なので、今後の目標としては、博士論文については「そういえば昔そんなのも書いたな」ぐらいに思えるよう、今後もしっかり研究活動を続けていきたいと思っています。
一番うれしかったこと
博士号を取得して私が一番うれしかったのは、母方の祖父がえらく喜んでくれたことですね。べつに自分からわざわざ言うようなことでもないと思っていたんですが、こないだ祖父の米寿の祝いで香川県にある母の実家に行ったときに、母が報告してました。そしたら祖父が、「わしの孫から博士が出たんか…」といって、涙を流して喜んでおりました。
私自身は学位取得を「ひとつの通過点」程度に受け止めているので、祖父のリアクションがちょっと大げさで困ってしまった面もあるのですが、まず大前提として昔のほうが博士号を取得するのが難しかったし、取得する人も少なかったので、私とかが思う「博士号」と、昔の人が思う「博士号」は、ある程度別モノなんでしょう*9。
しかしこの祖父の大げさなリアクションには、それだけではなく個人的な背景があったようです。
祖父は昭和4年の生まれで、終戦時に15歳か16歳という世代です。家系を遡ると、戦国時代に長宗我部元親に征服され、豊臣秀吉に滅ぼされた香川氏という弱小武家の末裔で、母の旧姓も香川なのですが、その後戦前までは現在の三豊市のあたりでけっこうな勢力を誇る地主だったようです。ド田舎ではありますが割と裕福だったみたいで、祖父が小学生の頃は、使用人が日傘とお菓子を持って学校まで迎えに来るみたいな感じだったらしい。
祖父の父、つまり私の曽祖父は東京に出て明治大学を卒業しているので、当時としては(しかも香川の田舎の農民としては)けっこう高学歴なほうです。卒業後しばらく野村證券に勤めた後、香川に戻って実家を継いだようです。祖父は曽祖父が東京に勤務していた時期にできた子で、生まれが池袋です。なので米寿の祝いに、池袋の「すずめや」でどら焼きを買って行きました。
香川に戻った曽祖父は、農民のくせに田んぼや畑へ出ても法律の本を読んでいるような感じだったらしい。今風に言えばけっこう「意識が高い」人間で*10、そういう親父のもとで育っているから祖父もけっこう「学問」というものは大事なものだと思っており、政治経済問題なんかにも関心が高いほうではありました。
ところが時代が時代でして、祖父は農業関係の学校か何かを出たあと、食糧増産のための何とか団というやつで満州へ送られました。兵隊ではないので何とか生き延びて、終戦直後はソ連兵に追われたりしながら朝鮮半島を南下して、なんとか自力で香川まで戻ってきたわけですが、その後「農地改革」で一族の農地が召し上げられて、とりわけ裕福ということもないただの農家に成り下がったようです。
終戦直後、祖父は「救国青年連盟」という政治団体に所属していて、リアカーを引きながら街宣活動を行っていたと言ってました。名前からすると右翼団体みたいですが、昭和22年の衆院選で織田正信という代議士を輩出しており、その後自民党に吸収されたみたいです。祖父はその人のクルマの運転手も少しやってたらしい。
まぁそういう混乱の中を生きていたので、曽祖父のように東京の大学に進学するみたいなことはもちろんできなかったようです。旧制中学とかも出てませんしね。それで以降は、兼業農家としてコメや野菜を作りながら、造船所の工員等として働いておりました。
しかし、それでも本人は勉強をしたいと強く思っていたようで、ある時友人から「法政大学が通信教育の講座を始めたらしい。お前も受けてみないか」と誘われて一緒に受けることにしました。私と同様、「社会人学生」になろうとしたわけですね。
一応入試があって受かったので、晴れて大学生となったわけですが、たまに東京にも出て行く必要があるのが問題でした。何回かは行ったと言ってましたが、結局、続けるのが困難になって卒業には至らず辞めてしまいました。
若い頃に学問への志を持ちながら、たまたま混乱の時代に生まれたせいで思い通りにならなかったという苦い経験をしていたから、私が博士号を取得したと聞いて思わず「わしの孫から博士が出たんか…」と感極まったのでしょう。それで、自分が法政大学通信課程の卒業をあきらめたという、60年も前の話を語ってくれた次第です。自分の娘(私の母)が大学を出た時も同じぐらい嬉しかっただろうと思いますけど。
私自身としては、学位を取ったといっても「ホッとした」程度の感想で、むしろ課題のほうが目につくという有り様ではありますが、祖父を喜ばすことができただけでも取った甲斐はあったなと思いました。
社会人が博士課程に進学する上で気をつけるべきこと(1):時間の問題
今後社会人博士の進学を考える人のために、先輩ヅラして気をつけるべき点を挙げるとすれば、
- 時間を捻出できるか
- どうしても研究したいテーマがあるか
- そのテーマに関する論文をある程度読んでいるか
ぐらいが思いつきます。本当はこれらの他に、大学選び・研究室選びに関する注意点があるべきだと思うのですが、私の場合は最初から決まっていたので、何に注意したらいいかは分かりません。
このうち、時間の問題は、じつは言われるほど大きな問題ではないのではないかと個人的には思いました(3年在籍の予定を4年に伸ばした私が言っても説得力がなさそうですがwあと、個人の事情による差も大きいですが)。
まず私の印象だと、純粋な学生として学位が取れる人であれば、社会人として働きながらでも何だかんだで学位は取れるだろうという気がします。なんというか、学位申請できるレベルまで研究を詰めていくのって、時間の問題なのかというとやはり8割ぐらいはその人の研究能力や、研究対象に対する情熱の問題なのではないかと思うんですよね。
社会人は就職してから何年間かのキャリアを積んでいるわけで、この過程で獲得された知識や感覚といったものが論文を書く上で動員されてきますが、純粋な学生はそういうものがない状態で研究をしているわけですから、どちらが有利ということはないのではと思います。社会人としての業務経験が、博士課程で書く論文と直接関係する内容ではなかったとしても、何らかのプロジェクトを推進していく感覚が養われているだけでかなりのアドバンテージだと思います。
人によっては、職場で何本か論文を投稿した経験があり、内容に連続性があればそれを上述の要領で博論に組み入れることも可能なので、その場合だと3年も必要ないかもしれません(私の研究は入学後にほぼゼロから始めたものですが)。
他のブログ記事とかだと「研究をするための時間を捻出するのが大変だった」という点が強調されている印象ですが、これは人によるんじゃないかと思います。社会人ドクターと言っても独身の人でかつ残業が月に50時間程度までであれば、時間はけっこうあると思います。私の場合、在学期間4年間のうち2年半は1人暮らしだったので、時間はけっこうありました。それより、私は注意力が散漫で、たとえば論文を書いている最中に気になることがあると本筋から外れて調べ物を始めてしまったり、考え始めると中途半端ではやめられなくて、「作業に見切りを付けて当面の締め切りに間に合わせる」といったことが苦手なので、そのせいで時間を有効に活用できなかった感じがします。これは職場でも昔、上司から注意されたことがあります。お前に指示を出すと、高確率で作業時間の大半がマニアックな調べ物に使われることになり、本来はもっと早く終わるはずだと(笑)
さすがに、M銀行の次期システム開発に投入されて月400時間働いているような人が博士号取得を目指すのは無理だと思いますが、平日2時間、土日に5時間ぐらい自由な時間が確保できる人であれば、なんとかなるんじゃないでしょうか*11。ただしこの「自由な時間」というのは、机上の計算で空いている時間というよりは、十分な精神力・集中力を発揮できる時間である必要があって、これが案外難しかったりはします。仕事や家庭について色々考えることがあると、身体は空いていても、研究に集中はできなかったりするので。
あと、全体として時間が十分にあったとしても、学会発表とか論文投稿とか大学の手続きの締め切りの時期と、たまたま仕事が忙しい時期が重なることはあります。これはある程度、運としか言いようがないですが。また、さすがに博論の追い込みの時期とかになると、まとまった時間は必要です。私は、まとまった時間が欲しい時期は作業のために週一とかで有給を取ったりしました。そういう、ピンポイントで休みたい時に調整がつけやすい職場であるというのは、学位取得のための環境として大事だと思います。
社会人が博士課程に進学する上で気をつけるべきこと(2):テーマ選定等
さて時間以外の注意点として、
- どうしても研究したいテーマがあるか
- そのテーマに関する論文をたくさん読んだことがあるか
というのを挙げました。「博士号取得を目指そう」と思っても、適切な研究テーマを決められないというケースはけっこうあるんじゃないでしょうか。私は既に述べた通り、自分で気になっていたテーマから、
- どれぐらい本気で興味があるか
- 先行研究で明らかにされていることの範囲がだいたい分かるか
- 論証・実証の手順がイメージできるか
- 博士課程在学期間内にまとまった成果がだせそうか
を考慮して選んだのですが、気になるテーマがもともと明確にないという人もいると思います。
個人的には、研究したいと強く思えるテーマが見つかっていない人は、いきなり博士課程を目指すのではなく、論文を読んでみたり学会に行ってみたりして、「これを追究したい」みたいなものがハッキリしてから進学を目指したほうがいいんじゃないかと思います。やっぱりそういうのが無いと、研究を進めるパワーが足りなくなる気がするので。
先ほど、「机上の計算では1日2時間の自由時間があっても、十分な精神力・集中力を発揮できる2時間を確保するのは難しい」という話をしましたが、これもやっぱり、「学位を取るために研究しているのではなく、興味があるから研究してるんだ」というモチベーションがあってこそ作り出せる時間だと思うんですよね。
それと、関心のあるテーマがあっても、その分野の論文を読んだことがないと、「既に研究されていることとされていないこと」の区別も付かないし、どういう研究手法があるのかも分からないので、先行研究はよく調べたほうがいいと思います。これは研究計画を書くのに必須の作業で、数本レベルではなく数十本、少ない場合でも20本ぐらい*12の論文を、精読でなくていいのでだいたい何をやっているのか当たりがつくレベルで読んでおく必要があると思います。
なので、関心のあるテーマがある程度定まっていて、そのテーマについて論文をある程度読んだことがある段階になって始めて、進学を希望する研究室の教授と話をするような流れがベストだと思います。その段階に至っていないのであれば、進学は先延ばししてもいいと思います。
社会人として博士課程に進学することのメリット
社会人として博士課程に進学して何が嬉しいのかというのは、2つの側面があります。「ビジネスマンや公務員として、博士号を持っていると何の得になるのか」という話と、「博士号を取るに当たって、社会人経験を経ていると、ストレート進学に比べて何が有利なのか」という話です。
前者の、社会人としてのキャリア形成上の意義については、人それぞれ過ぎてとくに言えることはありませんし、そもそも私は身近なこと以外はよくわかりません。一般論としては、
- 将来の職種の選択肢が広がる
- 学術研究を一定水準以上までかじることで、視野が広がる
- もともと研究をしたいと思っていた場合、そのための指導と環境が得られる
という感じだと思います。たぶん多くの人が関心あるのは1点目で、研究機関に転職したいのであれば博士号はおそらく必須になるでしょうし、企業内でも研究開発部門に行きたい場合に行きやすくなるかもしれません。また学術論文を書くようないわゆる「研究職」ではなくても、コンサルタントやアナリストの職で博士号保有が望ましいとされるものはたくさんありますね。
後者の、ストレート進学に比べて社会人経由だと何か良いことあるのかという点については、「就職を気にせず研究に励むことができること」、これに尽きます。既に就職しているわけなので、研究が予定どおり進まなくても、何なら学位が取れなくても、とにかく露頭に迷うことは無いわけで、この安心感は絶大なものがあります。安心感があるから研究の手を抜いてしまうという場合もあるかもしれませんが、逆に安心感のおかげで「本当に自分が関心のあるテーマと向き合える」ことのメリットが大きいと感じます。
学部→修士→博士とストレートに進んできたら、20代の大半を研究漬けにできるので、良い研究ができる可能性は当然増すと思います。というか、ガチで研究職を目指すと腹をくくっている場合は、その道以外あり得ないでしょう。しかし「研究職として就職しなければ」みたいなプレッシャーは負担になるでしょうし、20代後半になって職に就いたことがないという状態だとけっこう不安を感じる人も多いんじゃないでしょうか。「ちょっと今年は納得のいくレベルまで追究できなかったので、学位取得を1年遅らせるか〜」みたいな決断は安易にできないでしょう。
その点、社会人ドクターの場合、とにかく不安が無くて心理的には余裕があります。この余裕を生かせるかは人によると思いますが、私はこれが社会人ドクターの最大の利点だと思います。
付け加えるとすれば、社会人をやっていると、「自分の仕事や企画が何の役にたつのか」を説明して、意思決定権者から決裁をもらったり予算を確保したりするという経験を嫌でも積むことになります。そしてその説明のためには、背景や周辺の知識もけっこう必要であるということなどが分かってきます。
こういう経験が蓄積されていると、自分の研究の意義を説明するのが得意になるので、論文の冒頭と締めくくりを書くのが速くなるし、各種申請書や報告書の類を書くのも余裕になります。社会人経験がない人が書くと、教授とかがけっこう添削しないといけないかもしれません。また、「周辺知識を含めて、自分の企画の意義をうまく人に説明できるかどうか」を考えることが習慣化していると、適度に広い視野が持てるようになり、研究テーマや手法の選定を誤ることも少なくなる気がします。
参考1:研究に使った道具
パソコン
研究に使った道具として、まずノートパソコンのMacBook Air、デスクトップのiMacを持ってるのですが、MacBook Airのほうが活躍しました。社会人だからってのもあるかもしれませんが、外出中の作業がけっこう多いんですよね。スタバでドヤ顔でMacBook Air弄りながら論文を書いてる時間が長かったです。入試や学会発表や公聴会では、プレゼン用にも使います。
iMacはスペックがかなり高い方ですが、私の研究では大規模なデータ処理とかはないので、利点があるとすれば画面が大きいので複数のファイルを並べて開いて作業したいときに使えるというぐらいですね。
統計ソフト
データ分析に使った統計ソフトは、もちろんRです!
単純な分析しかしていないので、Rの使い方を勉強し始めて最初の半年ぐらいで知った知識で8割ぐらいまかなえた気がします。ただ、共同研究者はSPSSを使っているので、データ分析はどちらかがまとめて行う必要があってやや面倒ではありましたが、逆に2つの方法で検算するような形にもなってよかった面もあります。たとえば分散分析などでタイプIII平方和を計算するときにあるオプション設定が必要であること(過去エントリ参照)には、SPSSとの結果の突き合わせで気付きました。
Evernote
論文管理ツールをどうするかで悩みましたが、私は結局Evernoteで済ますことにしました。私は研究に限らずあらゆるデータをEvernoteに集約しているヘビーユーザなので、新しいツールが増えないほうが楽だったためです。自分で書いた論文や発表資料、あつめてきた先行研究の論文はもちろん、大学院関係の手続き書類や、研究上の構想や気付きなどのメモも入れています。
編集中のファイルはDropbox上のディレクトリに置くのですが、確定したドキュメントは全てEvernoteに入れることにしています。大学から郵送されてきた書類はスキャンして保存。学生証も写真で保存してEvernoteに入れています。
論文管理専用のツールを使うと、書式の揃ったbibliographyを自動で出力できたりとか色々便利みたいですが、私はまず論文のPDFのファイル名を参考文献欄で引用するときの書式(まぁ雑誌によって変わるんですが)にしておいて、Evernoteのノート名もそうなるようにしています。そして、その論文についての要約やコメントを、Evenoteのノートに直接書き込むか、テキストファイルにメモして同じノートに添付しておきます。Evenoteに直接書き込んだほうが、リンクが張れたりして便利ではありますが。
私はPDFの注釈ツールで書き込むとかはあまり気持ちよくできなかったので、紙で出力して読んだ論文もけっこうあり、そういうのは紙の上にボールペンでメモを記入しているので、これをスキャンしてEvenoteの同じノートに添付しておきます。すると1つのノートに、
- ダウンロードしてきた論文PDF元ファイル
- 論文を印刷してボールペンでアンダーラインや簡単なメモを書き込んだ紙をスキャンしたファイル
- 自分のメモ、要約テキスト
がまとまっていることになります。私はタグをこまめに設定するのが苦にならない正確なので(ノート数2万2000ぐらいに対して現在2500種類ぐらいのタグを設定しているw)、論文が扱っているトピックや研究手法などで分類しています。同じテーマでもたとえば実験を行っている論文だけ引っ張りたいときとかに「実験」というタグが付けてあると便利です。
論文検索
先行研究論文の探し方としては、最終的にはGoogle Scholar一択になりました。もちろん雑誌で読む論文とか、なんかのサイトで紹介されてて読む論文とかはあるのですが、検索するときはGoogle Scholarで良いと思いました。自分のパソコンから大学の学内システムへVPNを張ってログインしておくと、Google Scholarの検索結果からリンクで飛んだあとに、有料サイトであってもメジャーどころは大学が契約しているので、ほとんどの論文はそのままスルーでPDFが取得できて便利です。大学のアカウントがないと1本4000円ぐらいとかするので、DLを躊躇しますよね・・・。
参考2:社会人博士に関するブログ記事等
社会人ドクター関連の記事です。
情報系の方のブログで、ホットエントリになっていたもの。
働きながら7年間かけて博士号を取得しました - takminの書きっぱなし備忘録 @はてなブログ
とてもまとまってる。こちらも情報系の方。
社会人ドクター在学の3年間を振り返る | www.tamochan.com
官僚で、工学系の方。続編がもっとある。
第30回 社会人博士の取り方
社会人博士の取り方-その2
化学系方の話。
http://homepage3.nifty.com/yama-page/monolog-doctoralcourse.htm
現在進行形?で大学院に在籍されている方のブログ。こちらも情報系。
yumulog
社会人博士に進学しようとしている人へ - yumulog
少し前に話題になっていた、数学が専門の方の記事。博士じゃなくて修士だけどとても参考&刺激になる。
31歳からの大学院進学(数学・修士課程) - 34歳からの数学博士
大学のホームページで社会人向けの案内がされていた例。
博士後期課程への社会人の受け入れ | 生涯学習 | 卒業生の方 | 東京工業大学
http://www.sie.tsukuba.ac.jp/admission/workings/souki
社会人大学院に関する資料
大学における社会人の受入れの推進について
*1:学際的な領域なので、各専門分野の専門家から「中途半端」な印象を持たれがちとは思う。
*2:純粋に論文を提出するだけではないので、いわゆる論博とは違うのかもしれないが、うちの学内資料上は一般学力選考と社会人特別選考で入学した人たちが「課程博士」と呼ばれ、論文草稿の人たちは「論文博士」と呼ばれていた。
*3:救済といってもかなり面倒な作業なので、会社を休んででも出席したほうが圧倒的に楽。
*4:ただし、社会人じゃない学生がこの救済措置を使うのは「望ましいことではない」と言われていた。
*5:都内で働いてて京大の院に在籍してると言うと、「通信教育みたいな感じ?」と聞かれることが多く、その度に「いや、博士課程は研究するところだから、授業とかほとんどないので、行かなくても成り立つんだよね」と説明することになる。
*6:何となく現代の機械学習にも関係ある人がやってたことを紹介しているだけで、この人の研究がこの領域のメインストリームというわけではないです。
*7:Rumelhartたちの路線は、チョムスキーの生成文法理論に影響を受けて一部のマニアックな学者が盛り上がっただけみたいな印象で、そもそも筋の良いアプローチではなかったと思う。
*8:かつ、マチマチであることを存じ上げずに、厳しさ/甘さを語っておられる方も正直いる印象。
*9:明治時代の本とか読むと、著者の肩書として「法学士」とか書いてあったりする。今では博士ぐらいしか書かないけど、昔は学士でも稀な経歴だったということ。
*10:話を聞くとヤバい人で、嫁(私の祖父の母)が家が建つほどのカネ(1000円)を持って嫁いできたのを、東京にいた3年で散在してカネがなくなったので香川に戻ってきて、野村証券の売る保険の代理店をやって村の人たちを勧誘しまくったようで、近所からの評判が悪かったようだ?
*11:考えてみたら、大学の先生だって、一日中論文書いてるわけじゃなくて、授業とか会議とか学生の指導とかで一日が潰れ、空き時間に論文書いてるような感じだったりしますよね。
*12:よくまとまっていてかつ新し目の先行研究レビューが付いている論文に運よく行き当たった場合は、それを土台に自分の研究テーマや研究計画を検討できるので、数が少なくても済むかもしれない。